3.11 東日本大震災をふりかえり “他人のため、利他に生きるとは!?”

今、

 

新型コロナウイルス騒動が

あまりにも凄いので、

 

あまり

報道されていませんが、

私個人的に

 

東日本大震災を

忘れることが出来ません。

 

刻銘な記憶としてあります。

 

 

 

その日は仕事で、

岩手県盛岡市に

 

ある県立病院の

地下1階の

 

カテーテル検査室

にいました。

 

 

 

 

そして、

 

144618秒に

断続的な揺れから、

 

非常に強い横揺れを

経験しました。

 

なかなかその揺れは

収まりませんでした。

 

その瞬間、

病院では一時的に

 

停電になりましたが、

すぐに非常用電源に

 

切り替えられ、

 

 

 

病院関係者の方々から、

 

“病棟患者に集中して!”

 

“検査は途中でも

終えてください!”

 

 

 

という御達しがあり、

行われていた

 

検査がその時点で

終了したので、

 

私は病院を後にして

定宿に向かいました。

 

 

 

その時、

 

盛岡市繁華街が

異様に暗く、

 

人々の行き来はなく、

コンビニも

営業をしていましたが、

 

会計を電卓で

やっていた光景が

 

今でも印象的に

記憶に残っています。

 

 

 

それで定宿につき、

 

フロントの方に、

 

“今、水道、電気、ガス

全て止まっているので、

 

とてもお客様を

お泊めできる

 

客室ではありません。

 

 

 

ただ、2F大広間は、

開放しておりますので、

 

良かったら休んで

行ってください”

 

と言われましたが、

 

この時、

私は

 

まだ“未曽有の大災害”に

 

巻き込まれていることを

全く理解していない状態でした。

 

 

 

そして、

 

外気温が-5℃で

寒かったので、定宿の

 

2Fで真っ暗な中、

東北エリア駐在の

 

同じチームメンバーに

電話をして、

 

30回ほど

掛けてやっと1回通じて、

 

事情をお話しして

営業車で助けに

 

来てもらいました。

 


彼は秋田県で

活動をしていたそうで、

 

ひとまず

彼の自宅がある仙台に

 

向かいました。

 

 

その時、

既に高速道路は

 

封鎖されていて、

下道を走っていましたが、

 

県内ほとんどの

エリアが停電したので、

 

真っ暗の中、

ふと空を見上げるとやたら

 

星が綺麗だったことも

覚えています。

 

 

 

 

その後、仙台市内で、

3日間ほど

 

復興活動を

手伝っていたところ、

 

山形の

チームメンバーに出会って、

 

“山形では電気が

回復していて、

ビジネスホテルは

なんとか営業しているよ”

 

と伺って、

営業車に

 

同乗させてもらい、

山形に向かいました。

 

 

そして

 

また山形の復興物資が

集められた場所で

 

その活動を

お手伝いしていたら、

 

新潟のチームメンバーに

出会いました。

 

 

“新潟では、

電気・ガス・水道は

 

もとに戻っていて、

ホテルも宿泊予約

 

とりますから

新潟に行きましょう。

 

新潟新幹線の

運行は

 

通常の1/3程度ですが、

東京に帰れると

 

思いますよ。”

 

と言われて、

新潟のビジネスホテルに

 

たどり着いた頃には

 

“勢も根も尽き果てた”

状態で、

 

被災してから

7日目に

 

東京の自宅に

帰り着きました。

 

 

もしあの時、

東北エリア駐在員と

連絡が取れなかったら、

 

 

もしあの時、

山形チームメンバーと

出会っていなかったら、

 

 

もしあの時、

新潟チームメンバーに

出会っていなかったら、

 

 

 

これ以外にも、

大惨事の中で、

 

本当に大変なのは

ご自身であるにも

関わらず、

 

2F大広間を

解放してくれた上で、

 

 

非常用のお米で

おにぎり、

 

お味噌汁を作って

振る舞って

 

下さった

ホテルスタッフの皆さん、

 

改めて振り返って、

 

“他人のために、

利他の精神で”

 

って

どういうことなのか、

を考えさせられます。

 

 

 

私は

 

今、現在、

心理セラピストとして

 

活動していますが、

有難いことに

 

クライアント様から

“命の恩人”的なお礼

 

を頂きます。

 

 

 

その際、

 

“良かったですね”と

申し上げて、

そのことは

すぐ忘れるようにしています

 

なぜならば、

私の行動が無意識的に

 

条件付けられることを

防ぐためです。

 

 

つまり、

クライアント様から

 

褒められるため、

認められるために、

 

心理セラピーを提供する、

という構図が

 

出来ないようにするためです。

 

 

私自身は“大切だから、

重要だと思う”から、

流されて生きてしまった

 

(無意識的に

生きてしまった)結果、

 

 

 

生き苦しい、生き辛さを

感じている人達に

関わって、

 

勇気付け、

元気づけること、

 

 

 

そして、

その経験から

 

“本当の幸せ”と

いわれるものは、

 

“自分の外側

 

(地位・役職・名声・

評判・お金・

高級嗜好品など)

 

にはない”という

気付きを自らの力で

 

得ることは、

 

 

 

至上の幸せで

あることを

 

体験・経験して

もらうために

 

心理セラピーを

提供しています。

 

 

そのクライアント様の

気付き以上に、

 

人生を生きる上で、

大切なものはないと

確信できる

 

からです。

 

 

私はクライアント様の

ことを“かわいそうな人”

 

なんて思ったことは

ほとんどありません。

 

 

 

 

なぜなら、

 

“クライアント様を

かわいそうな人だ”

 

と思って

接すると、それを救って

あげるセラピスト(優性)、

 

かわいそうな

クライアント(劣性)で、

 

 

優劣が

出来上がってしまい、

 

共依存の関係が

出来あがってしまうと、

 

本来の目的である

 

“クライアント様が自立して、

ひとりで人生を歩む”

 

ことの弊害に

なってしまうからです。

 

 

 

 

 

私も含めて、

人生を真剣に

 

生きていれば、

絶対に荒波に

 

襲われます。

 

 

それが原因で、

 

失望したり、

絶望したり、

 

生きる気力が

無くなったり、

 

本当に感情が

翻弄されると

 

思います。

 

でも、それら全ての

工程が上記した

 

 

(“本当の幸せ”

といわれるものは、

“自分の外側にはない”

という気付きを自らの力

で得ることは、

至上の幸せである)

 

 

 

前提ことを

理解してもらうことが、

 

私が心理セラピーを

提供する上で

 

最も心掛けている

 

“他人のために、

利他の精神で”

 

であると思います。

 

 

 

自分の魂のミッション

 

“流されて

生きてしまった

 

無意識的に

生きてしまった)結果、

 

生き苦しい、

生き辛さを

 

感じている人達に関わって、

勇気付け、

 

元気づけること”に従って、

心理セラピスト活動を

 

続けていきたいと思います。