![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=470x1024:format=jpg/path/s0b36d9a57dc41126/image/i0ed1b6f86e6bf7b8/version/1589391112/image.jpg)
私は大阪で生まれて、
大学を卒業するまで
大阪で過ごしました。
学生時代、旅行といっても
関西圏内が多く、
関東圏には
ほぼ足を踏み入れたことが
ありませんでした。
ですから、就職が決まって、
東京エリアに配属が決まった
時に慣れるまで、
時間が掛かりました。
入社4年目には、
出張範囲が日本全国になり、
北は北海道から南は沖縄まで
東奔西走忙しい毎日を
送っていました。
![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=515x1024:format=jpg/path/s0b36d9a57dc41126/image/i0913cb628794cc4c/version/1589391112/image.jpg)
そんな日常生活の中で、
出張先の地域では
その地域によって会話の
中に醸し出される
ニュアンスが違うことに
気付きました。
東京以北では、
私の“大阪弁が怖い”
と言われたことが
複数回あり、入社以来、
大阪人にとっての大阪弁は、
ある意味ステータ
スシンボルであり、
大阪人としての誇りである、
と思い込んできたので、
アナウンサーじゃあるまいし、
強制的に直そうとは思って
なかったんです。
しかし、“大阪弁が怖い”という
お客様からの意見でしたので、
真摯に受け取り、
矯正していった
記憶があります。
![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=470x1024:format=jpg/path/s0b36d9a57dc41126/image/i1974a2e703638806/version/1589391112/image.jpg)
その後、矯正した甲斐があって、
仕事中に大阪弁の
イントネーションが出ることは
なくなり、仕事を通じて
人間関係が出来上がった
後に、大阪弁で喋ると、
“えっ~、関西出身なん
ですね!?”って、
いわれたことが
あります。
そして、私自身も、
大阪弁を喋っている
時の人格とその地域ごと
に合わせて、
大阪弁をしゃべっていない
時の人格では、
全く違った人格になっている
ことに気付きました。
それと共に、
出張で訪れる都道府県によって、
色濃く、ご当地感、県民性が
あることも理解できる
ようになっていました。
![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/none/path/s0b36d9a57dc41126/image/i20886f6abe71a699/version/1589391112/image.jpg)
全体的に、よく観察してみると、
私は大学を卒業するまでの間は、
大阪内で行動していましたし、
対面する人も限られていたので、
私が他人に対して作り出していた
人格は、その決まり切った
日常生活を過ごす間に
もっとも適した、
“大阪弁を使って、
意思疎通をして、
粉物(お好み焼き・たこ焼き)
を愛して、
阪神タイガースを応援して、
おもろい奴がかっこいいと思って、
訳も分からず東京に
対抗意識を燃やす”などの
特性をもった人格を
作り出していた訳です。
そして、入社4年目以降で、
日本全国を出張して、
“大阪弁が怖い”と言われた
後には、“各都道府県の
ご当地感を尊重して、
県民性を理解しようと
努力して、いわゆる標準語を
使い、分け隔てなく受容しようと
する”人格もまた作り出した
訳です。
![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=470x1024:format=jpg/path/s0b36d9a57dc41126/image/idec28500ea4b9cb0/version/1589391112/image.jpg)
このように、身を置く環境に
影響を受けて、
人格を作り出す、
という無意識的な行為は、
人間常に行っていると
思います。
訪問した土地柄、
面会した他人によって、
その時その時に
最適と思われる人格が
前面に出ていて、
その瞬間に対処をしている
人格がいるのだと思います。
たまに、
“どう対処していいか!?”、
わからない他人がいますが、
これは今までに
作成した人格では
対処できない場合に
当たると思われます。
![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=470x1024:format=jpg/path/s0b36d9a57dc41126/image/i88f0e374fb7fdfa3/version/1589391112/image.jpg)
こう考えてくると、
人間の中には、本当に
億万の人格が存在して、
その都度、状況に応じて、
面会した他人に応じて、
最適な人格を前面に
押し出してきます。
それも完全に全自動的
に行われます。
そうしているうちに、
各人格間で、
よく使う好きな人格
と使ってはダメだと
思い込んでいる嫌いな
人格ができてしまう訳です。
![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=470x1024:format=jpg/path/s0b36d9a57dc41126/image/i71925fcd9c0f40a9/version/1589391112/image.jpg)
私の場合でいくと、
大学を卒業して、
就職して東京暮らしが
始まった時は、
大阪出身であり、
大阪弁ネイティブの自分、
よしもと新喜劇(お笑い文化)を
愛する自分などを
“本当の自分”はこの
人格であると
思い込んでいました。
しかし、入社4年目以降で、
全国津々浦々に出張に
いくようになって、
“大阪弁が怖い”と言われて
からの私は、仕事を
やっている間は、
良い人間関係が
構築されるまでの
間は、一切“大阪臭”を
出さないようにしていました。
過去に思っていた
大阪出身をアピールすることを
一切禁止して、新たな
“本当の自分”という
人格を作り出して、
これが私であると
思い込んでいたと思います。
ある意味、対立する人格を
作り出していたのだと思います。
![](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=605x1024:format=jpg/path/s0b36d9a57dc41126/image/ibaa8de6737dec27d/version/1589391112/image.jpg)
今、現在、心の悩み、
特に、人間関係についての
悩みごとを
お持ちの方々にも、
全く同じ心理的構造が
あると思われます。
時間にシビアな人/怠惰な人、
期待に応える人/期待を
回避してしまう人、
感情表現豊かな人/そうで
ない人などです。
人間の中には、対立するような、
矛盾するような人格が存在して、
美と醜、正と邪、善と悪、
楽観と悲観、勤勉と怠惰、
理想と現実などが
併存している
矛盾の塊で
あると思います。
このような人間の特質を
よく理解し、どう矛盾を
調和させるか、が
大切であると
思います。
ただ、とても難しい行程です。
お手伝いが必要な方は、
是非、私にご連絡ください。
あなたの勇気をお待ちしています。