情報は無色透明、解釈は無限大

そろそろコロナ騒動が終息に

向かいつつありますよね。

 

 

全国に発令されていた

緊急事態宣言も解除されました。

 

 

 

さて、このコロナ騒動で色々な

人間模様が浮き彫りに

なりましたよね。

 

 

毎日流れてくる感染拡大、

死者数増加のニュースを

 

 

見聞きして、先が見通せない

状況に、とても悲しい気持ちに

 

 

なったり、不安・恐怖心を

感じたことも

あったかもしれません。

 

 

例えば、Stay home;家にいよう、

によって、ストレスが溜まって

 

 

家庭内暴力DVに発展して

しまったとか、休業要請中にも

 

 

関わらず、営業を続けた

店舗に対する

 

 

執拗な嫌がらせ、

公園で遊ぶ子供達に

対する警察通報、

 

 

SNS上でのある特定の

人達に対する誹謗中傷・

罵詈雑言などで

 

 

殺伐とした

雰囲気になってしまい、

 

 

さらに負の連鎖を

繰り返していました。

 

 

それとも真逆に、

メディアではあまり積極的に

 

 

報道されませんでしたが、

“このような非常事態だからこそ、

 

 

チャンスである”と

機会を捕えている

 

 

人達がいて、実際に、

売り切れが続出した

 

 

公衆衛生品群

(マスク・うがい薬・

ティッシュペーパーなど)や

 

 

オンライン会議システム;ZOOM

宅配代工業Uber eatなどは

好業績を上げた訳です。

 

 

コロナ騒動は、2月初旬から

6月現在までずっと起きていて、

新聞・テレビで報道されて、

 

SNSニュースなどで

逐一報道されていて、

 

初期感染期から感染者数

ピークを向えて、そして

 

終息を向かえるという流れ・現象は、

全世界の人々にとって全く同じです。

 


では、ある人達は、悲しい気持ち、

不安・恐怖心を感じ、ネガティブな

 

 

気持ちになり、ある人達は

好機と取らえてワクワク、

 

 

ホジティブな気持ちを

感じるのはなぜでしょうか?

 

 

本来、情報にはポジティブなもの、

ネガティブなものというのはなくて、

 

 

その情報を聞いた人間が

ご自身の持っている

 

 

基準に応じて“ポジティブな情報”

“ネガティブな情報”と

 

 

価値判断をしている、

のだと思います。

 

 

 

情報は常に無色透明であり、

それを使う人間が過去の

 

 

記憶や集団同調圧力によって、

その情報をポジティブなもの、

 

 

もしくはネガティブなものと

判断してしまっているのが

 

 

現実だと思います。

情報はそこに起きた

 

 

事実を言語化したものです。

過小評価、過大評価は、

 

 

発生した時点では全くなく、

無色透明です。

 

 

これを伝える人達と受け取る

人達のフィルター(過去の記憶や

 

 

集団同調圧力など)によって、

情報が脚色され始めます。

 

 

例えば、私の事例ですが、

東京で山の手線や

丸の内線に乗って、

出勤するという

状態があったとします。

 

 

私は大阪出身なので、

東京の山の手線、

丸の内線の情報・情景は、

 

 

全てテレビドラマやニュースから

得ていて、“あんな交通機関を

 

 

使って、出勤する人達は

超エリートに違いない”という、

 

 

思い込みを持っていました。

そして、大阪で大学を卒業して、

 

 

就職・配属されたのが

東京事業所で、思い描いていた

 

 

山の手線・丸の内線を通勤で

使用しましたが、殺人的な

 

 

混雑状況で、利用している

人達の冴えない表情や

 

 

どんよりとした重たい雰囲気を

感じてみて、もううんざりしました。

 

 

 

この事例からも理解して

頂けると思いますが、

 

 

まず、情報としては、

山手線・丸の内線の

 

 

朝の通勤ラッシュである、

というイメージ・情報があり、

 

 

 

この情報には、ポジティブなもの、

ネガティブなものというのはなくて、

 

 

私がテレビドラマやニュースを通じて、

“超エリート達は、

 

 

そのような(山手線・丸の内線など)

交通手段を使っている”という

思い込みから、

 

 

 

私は“超エリートになるには、

そのような交通機関を

 

 

使わなければならない”という

価値判断をして、

 

 

 

山手線・丸の内線を

通勤ラッシュで使う事を

 

 

ポジティブなものと色付けしていましたが、

実際に、東京で働き始めて、

 

 

通勤ラッシュを体験してみると、

車内では身体の自由が効かないし、

 

 

車両がブレーキを掛けるたびに、

他人の流れに押しつぶされそうになるし、

 

 

とにかく疲れるし、

本当にもううんざりでした。

 

つまり、ネガティブなものとして

色付けをしてしまった訳です。

子犬を見て、

“噛みつく怖いから、

逃げよう”と

 

価値判断をするか、

 

 

“かわいい、

一緒に遊んであげよう”と

価値判断するか、

 

 

杉並木を見て、

“マイナスイオンが

気持ちよさそう”と

 

 

価値判断するのか、

 

 

“花粉症が発症したら、

しんどいなぁ”と

価値判断するか、

 

 

 

いつも事実はひとつで

情報は無色透明です。

 

 

ただ、解釈は、これを

伝える人達と受け取る

 

人達のフィルター

 

(過去の記憶や

集団同調圧力など)によって、

 

 

無限大になる訳です。

 

 

情報化革命において、日々、

情報の洪水の中にいても、

 

 

“流されずに生きる”ためには、

“情報は無色透明であり、

 

 

解釈は無限大”ということを

よく理解して、自分とは反対の

 

 

意見・価値判断を理解してみようと

試みることが大切だと思います。

 

 

 

 

これこそが、今、時代に

求められている多様性の

理解に繋がっていくと思います。