見える、触れる、計測できる

会社員時代を思い出すと、

何についても計画書を書くとき、

 

 

特に意識していたのが

 

 

“数値化データ”

ということ。

 

 

導入期3か月で

〇×▼、

 

半期で

〇×▼、

 

 

3か年ではこれぐらいの

売上金額、

 

 

だから収支が・・・・、

ということを

 

 

よくやらされていたし、

やることに何も疑い

もなかった。

 

 

発表用資料を

パワーポイントで

 

 

作成している時も、

同じように数値データが

とても重要でした。

 

 

 

 

資本主義社会では、

数値データ化して

 

 

見えることが大切だし、

その数値化データを

 

 

経過時間と共に

比較することで、

 

 

比較された数値データが

構築され、より説得力がある

資料になったと思います。

 

 

とにかく、

 

“見える、

触れる、

計測できる”

科学の世界が

 

 

重用されていました。

 

 

 

私の前職は、

心臓不整脈治療に対する

 

 

医療機器関連であったので、

医学会で発表される

 

 

症例報告、医学論文も

全て数値データ化されて

 

 

 

上で、

 

“成功率は〇×▼、

再発率は〇×▼、

A術法とB術法の

比較で有意差〇×▼%”など

使用されていました。

 

 

臨床医・執刀医に

とっては、

 

 

手術様式を

決めるためには

 

 

とても重要な

数値データであり、

 

 

平均手術時間、

平均入院日数、

急性期成功率、

25年後成功率など、

 

 

患者当事者の

被るリスク・負荷

 

 

 

患者当事者が

得られる利得

(再発が少ない、

身体的負担が少ないなど)が

 

 

 

数値化されていて、

そのデータを徹底比較して、

手術様式が決められていました。

 

 

患者当事者には、

手術日程より

 

 

前もって説明(インフォームドコンセント)が

なされて、

 

 

“なぜ、この術式がいいのか、 

懇切丁寧に説明され、

 

 

数値データも

しっかり紹介され、

 

 

こういう理由が

論拠であると明確に

提示されていました。

 

 

 

私は、世界中から

発表された症例経験から

 

 

抽出された数値化データで

あるので、その結果に従うことは

当然のことだと思っていました。

 

 

 

そして、ある手術に、

機器操作補助

 

 

病院には、臨床工学士が

いるので、その方々が

操作慣れする期間、

補助することが

ありました)

 

 

 

 

で、

立ち合いました。

 

 

その当時、

最も手術様式として、

 

 

多くの臨床医が

採用していた術式があり、

 

 

その日もその手術様式で

行うとカンファレンスで、

 

 

執刀医がスタッフに

説明をしていました。

 

 

 

そして、手術は始まり、

中盤を超えて、全プロセスを

 

 

終了してから、本当に

心臓不整脈を

 

 

抑制出来ているか、

どうかを調べるために、

わざと不整脈を誘発します。

 

 

この行程で誘発されなければ、

終了となる訳ですが、

 

 

その日は、不整脈が

誘発されてしまい、

 

 

手術の全プロセスが

終了しているので、

 

 

さてこれ以上、

手の施しようがありません。

 

 

執刀医は、とても優秀で、

熱心な先生なので、

 

 

ありとあらゆる学会発表・

医学論文を通じて、ご自身の

 

 

記憶にある数値化データと

一瞬のうちに照合されて、

 

 

患者当事者の体力も

考えた上で、再手術するという

選択がなされました。

 

 

全てが終了して執刀医と

話すことが出来て、

 

 

 

あの状況では、

新たな方法を取る

事ができなかった。

 

 

 

その方法についての

エビデンス(証拠:数値化データ)

がないからね。”

 

 

 

“エビデンスがないのに、

行き当たりばったりの

治療行為は、できないよ。”

 

 

 

“そんなことしたら、

人体実験になってしまうからね。”

 

確かに、その通りだと思いました。

 

 

 

そして、別の日に、

別の病院で、

 

 

また機器操作補助のため、

立ち合いました。

 

 

上述した症例とは、

全く違うにも関わらず、

 

 

手術の状況は同じような

展開になって、

 

 

いよいよ万策尽きた

状態になりました。

 

 

さて、執刀医はどうするのか、

観察していると、

 

 

おもむろに

“この辺り、

なんとなく怪しそうだから、

 

 

ここ最後に治療して

不整脈が停止しなければ、

今日は終了にしよう”

 

 

 

ということになり、

その部位を重点的に

 

 

治療したら、

不整脈が停止したんです。

 

 

手術室内から

どよめきの声が上がりました。

 

 

 

ここでも全てが終了した

執刀医と話す事が出来て、

 

 

私:どうして、最後の治療が

あの部位が不整脈発生に

 

 

関与していることが

わかったのですか?

 

 

 

医師:なんとなく、(冗談で)

ひかって教えてくれたんだよ。

(実際はひかっていない)

 

 

 

医師:あそこしかないって

感じたんだよね。

 

 

前職で24年間、

6,000症例の手術を

 

 

 

見てきましたが、

後者のような経験は、

少ないですがあります。

 

 

そして、そのような経験は、

同じ執刀医であることが

多いです。

 

 

前者の執刀医では、

考えられない選択ですが

 

 

後者の執刀医では

何が違うのか、

今ならよく理解できます。

 

 

確かに、

前者の執刀医がいっていた、

科学の成り立ちである、

 

 

“見える、

触れる、

計測できる”

から

 

 

数値化データにすることにより、

 

判断基準が出来上がります。

 

数値化データの基になっている

サンプリングの総数は、

 

 

とても量が多いので

統計学的にも信頼度が

高いということになります。

 

 

 

ですから、前者の執刀医は、

数値化データに裏付けられない

 

 

プロセスはやらない、と

選択した訳です。

 

 

一方、後者の執刀医は、

数値化されたデータに

 

 

縛られず、なんとなく感じて、

何の論拠もない、

 

 

職人の勘のようなものを

用いて、

 

 

見事に成功に

導いた訳です。

 

 

 

人間が見える電磁波帯は、

可視光線と呼ばれますが、

 

 

 

光として見えるのは、

全体の0.0000001%であり、

このごくわずかな世界で、

 

見える、

触れる、

計測できる

 

 

科学の世界、

数値化データの

 

 

世界が存在して、

本当に小さい世界で

あることが理解できます。

 

 

前者の執刀医は、

この世界観をとても

 

 

大切にしていたという

ことになります。

 

 

 

そして、残された

99.9・・%の見えない

 

 

世界を、自分の

体感覚を使って

 

 

何となく感じて、職人の勘に

従ったのが、後者の

執刀医ということになる訳です。

 

 

思考力が強い人

 

 

感性が鋭い人、

 

 

どちらが優れている

ということはありません。

 

 

どちらの人も偏り過ぎると

自分以外のグループの

人達を認めることが

出来なくなってしまいます。

 

 

 

思考と感情のバランスを

取る事が大切ですね。