構造上の問題/課題

今日、Webニュースを

見ていたら、

 

 

“大学教授が医療機器納入に

当たって、便宜を図った見返りに、

 

 

納入業者に現金200万円を

教授自ら代表をつとめる

 

 

一般社団法人の銀行口座に

振り込ませていた”と

報道されていました。

 

 

 

 

私はプロフィールにも

書きましたように、24年間、

 

 

医療機器メーカーに

勤めていましたので、

 

 

今回の報道、

当事者(賄賂を受け取った側)を

 

 

含んだ医療業界の構造と

その問題/課題とその時の

 

 

心理について、

お話したいと思います。

 

 

大学病院や

特定機能疾患研究センターに

 

 

代表される研究機関に

属している先生方は、

 

 

研究者なので、

研究成果/結果が

必ず求められます。

 

 

そして、研究を続けるためには、

莫大なお金が必要です。

 

 

 

研究段階は、未知の

発見をするために、

 

 

その発見が再現性を

持っていることを証明し、

 

 

人間の実生活で

便益を生むまでは、

 

 

いわば先行投資に

あたりますので、

 

 

投資に対する回収;

お金が儲かることはありません。

 

 

多額の資金を公的に

投資してもらう、もしくは

 

 

関連企業から私的に

投資してもらうためには、

 

 

優れた研究発表を

し続けないと途中で

投資中断になってしまいます。

 

 

研究者の先生方は、

優れた研究成果/発表が

 

 

出来れば、できるほど、

決定権や人事権を獲得でき、

 

 

院内で“権力”を

持てるようになれます。

 

 

この医療業界で

構築された構造、

 

 

医師は権力を

持つためには、

研究成果/発表が必要、

 

 

 

その研究を続けるためには、

莫大なお金が絶対に必要、

 

 

 

医薬品/医療機器メーカーは、

右肩上がりの売り上げ増が

当然とされている

 

 

 

競合他社と画期的な

差別化ができる製品開発には

時間が掛かるし、

出来たとしても稀である、

 

 

そのため、定常的に、

確実に売り上げを上げ

続けるためには、

顧客の要求(金銭的な要求)を

断ることができない。

 

 

 

 

製品/商品の機能・効能による

差別化で、採用されるかどうか、

 

 

 

が決まるのではなく、

 

 

 

いくらお金を積むか、

で採用されるかどうか、

 

 

 

が決まってしまう構造が

出来上がってしまった訳です。

 

 

この構造がある限り、

医療業界では昔から

 

 

医薬品/医療機器納入に

関する贈収賄事件は、

不定期にずっと起きています。

 

 

今後もきっと発生すると思います。

 

 

 

 

ただ、注目して頂きたいのは、

当事者である先生方も、

 

 

医薬品/医療機器納入業者も、

業界の慣例、構造上の問題の

 

 

犠牲になっている

だけという点です。

 

 

 

上述の大学教授も、

医療機器メーカー担当者も、

 

 

この構造も中で、そうせざるを

得なかった。

 

 

お互いにその持ち場で、

生き残るために、

 

 

既得権益のために、

やる以外の選択肢が

なかったのだと推測します。

 

 

 

人間社会において、

全ての人間はある構造の中で、

 

 

仕方なく生きるしかない

瞬間があると思います。

 

 

 

自分の中にある、

良心の呵責に

 

 

苛まれることが

起きても、自分自身の中で、

 

 

何かしらの折り合いをつけて、

合理的に自分自身を

 

 

納得させるしかない

状況があると感じます。

 

 

 

どんなに清廉潔白に、

世のため、人のため、

 

 

利他貢献の精神を

常に心掛けていても、

 

 

その構造の中で人間が

活動する限り、強制的に、

 

 

上述のような事例が

発生するのだと思います。

 

 

“罪を憎んで、人を憎まず”

という言葉は、

 

 

上記の観点に立てた

人達だけが気付けること

なんだと思います。

 

 

 

私も含めて、

人間って、本当に

 

 

無意識的に生きていて、

安心・安全を感じるためなら、

 

 

何だって犠牲にして

行動することが出来、

 

 

流されながら生きている状態。

 

 

その前提に気が付けて、

初めて、意識的に、

 

 

自らの人生、自らで

決めることが

出来るのだと思います。