ぜんぜん大丈夫?!

先日、たまたま見かけた光景です。

 

おそらく、待ち合わせを

されているようで、

 

ひとりの女性はスマホアプリや

腕時計を見ながら、

時刻を確認している様子。

 

 

 

聞こえた訳ではありませんが・・・・

 

“まだ、かなぁ~”

“連絡ぐらいくれればいいのに・・・”

 

 

そこに、

待ち合わせしていた友達が

 

急いできた様子で、

息を弾ませながら、

 

“ごめん、ホントにごめんね!”

って謝りながら登場。

 

 

友達をまっていた女性の

反応が

 

“ぜんぜん大丈夫!”

“ぜんぜん待ってないよ!”

“平気、平気!”

 

 

 

この会話のやり取りを

伺っていて、違和感を

 

覚えたので

今回書いてみました。

 

 

まず、

“ぜんぜん大丈夫”という言葉、

 

みなさんは聞いたことがありますか?

または使ったことありますか?

 

 

 

私は今回のようなケースに

良く出くわします。

 

 

時間に遅れた側は、

誠心誠意、

 

“遅れてごめんね”と謝ると、

謝られた側は被り気味で、

 

“ぜんぜん大丈夫”

言っている人達・・・。

 

 

“ぜんぜん大丈夫”って

言っている人達は、

 

本当に、

“ぜんぜん大丈夫”なのか、

 

っていう疑問が

湧いてきますが、

 

私は

ぜんぜん大丈夫じゃない

と考えます。

 

 

待ち合わせ時間を守って、

待ち合わせ場所に

 

来ている人達は、

 

“約束は守らないといけない”

 

“時間厳守だから、

時間前集合は当然”

 

“もしできなければ、

他人から信頼されない”

 

“他人からいい加減な人だと

思われてしまう”

 

などという思い込みを

程度の差はあるけれど、

もっている訳です。

 

 

指定された時間に、

指定の場所に

 

たどり着ける行動は、

他人から責められないために、

 

周囲から怒られないために、

 

つまり

“自分自身を恐怖から守るため”に、

最良の自己防衛であり、

 

この恐怖心を

避けるために行動を

 

行うことは、

人間の動機付けとして

よく見られることですよね。

 

ですから、

 

約束を守っている人達にとって、

上記のような思い込みを

 

持っていますから、

約束を守らない人達には、

 

“ムカつくし、腹が立つ”

のは当然のことで、

 

約束を守る人達が

長年にわたって、

 

自分自身を使って

実験を重ねた結果、

 

“他人との約束は、

絶対に

守らなければならない”

 

 

という

この上ない教訓

 

見つけ出して、

見つけ出した後も

 

守り続けることで

成功体験を

 

重ねていた訳ですから、

この教訓を守らない人達が

 

いれば、

 

“きっと、怖い事が起きるよ、

大丈夫か!?”

 

とか

 

“(約束をやぶれるあなた方が)

うらやましい”

 

 

 

などを深層では感じている訳です。

 

それなのに、

なぜ

 

“ぜんぜん大丈夫”

“平気、平気”

 

っていってしまうのか、

これは他人から嫌わる

恐怖からきています。

 

 

“人間は社会性の動物である”

という有名な言葉があります。

 

人間社会には、

様々な共同体

(カップル・家族・学校・

会社・地域・都道府県など)

 

が存在して、

人間は複数の共同体に

属しています。

 

そして、共同体に属し、

構成員であり続けるには、

 

秩序を整えるために

定められたルールを

 

守り続けなければなりません。

 

守れない人は、

その他の人達から

 

異端児と見なされて、

共同体から

 

排除されてしまいます。

 

そのルールであるのが、

 

“感情を露わにして、

他人にぶつけてはいけない

 

“(ホントは腹立っているけど、

それを許せる)いい人として、

振る舞わなければ

ならない”

 

などが前提としてあるので、

 

“ムカつく、腹立つ”ではなく、

“ぜんぜん大丈夫、

平気、平気”

 

といってしまう訳です。

 

 

 

もし感情を露わにして、

他人を傷つけてしまったら、

 

同じだけの仕返しをされることを

覚悟しないといけないし、

 

度が過ぎれば、

所属している共同体から

 

排除されて、誰にも頼れず、

ひとりぼっちで生きて

 

いかなければならなくなる

恐怖心を感じ続ける

 

状況(不快な状況)に

身を置き続けるしかなくなるのです。

 

このように、

人と人とのやり取りを

 

見ていると、

がんじがらめの

 

多数あるルールに、

勝手に乗っ取られて、

 

その状況に

全く気付いていないのが

 

我々、人間であることが

良く理解できます。

そのルールに気が付いて、

自分一人で

 

打ち破ろうと思っても、

強烈な恐怖心を

 

感じさせられて、

また同じ周回に

 

戻ってしまう。

 

たしかに、適切な恐怖心は

身を守るために、

 

絶対に必要です。

 

しかし、ほとんどの場合、

誇大妄想が思考、感情を

 

支配してしまい、

偏った状態に、

 

感覚的に

生きてしまっているのが

 

我々、人間である訳です。

 

 

そんな人生に

もう飽き飽きしませんか?

 

がんじがらめのルールから

ご自身を解放して

 

、自分の人生の

思う様に生きてみませんか?

 

私はあなたのお役に

立てると思います。

 

 

あなたの勇気をお待ちしています。