目に見える世界と感じ取る世界

表題の件についてですが、

過去、私はプロフィールでも

 

書きましたように、

医療機器関連の会社で

 

心臓不整脈に対して、

治療をする機器を

 

扱っているグループに

いました。

 

主たる担当は、

学術情報配信と

 

教育です。

 

ですから、最新の情報に

精通するために、

 

様々な英語医学文献を

読んでいました。

 

その時に感じていたことは、

医学は科学であるということ、

 

“見えること、

触れること、

計測できること”

 

が基本であって、

統計処理に基づいた

 

数値データが証拠

としてある、

 

ということが

もっとも重要視

 

されていることです。

 

 

それから、

現在、

 

心理セラピスト・

カウンセラーとして、

 

クライアントに関わる時、

思うのは人間の

 

ココロに関して、

数値化出来ることが

 

極端に少なく、

 

“見えること、

触れること、

計測できること”

 

が少ないと感じています。

 

例えば、

 

心臓不整脈を

治療する際、

 

A術法とB術法が

あった場合、

 

世界中の先端施設から

医学雑誌に

 

投稿された論文を

全て集めて、

 

A術法とB術法を比較して、

急性期の成功率は

ほぼ変わらないけど、

再発率で

2年後比較すると

A術法の方が

5%上回っている”

 

とか

 

“術時間は、

A術法よりB術法の方が

30分短縮できるから、

患者の身体的負担の

観点からはB術法の方

が優れている”

 

など、

 

全て数値化された

データを見ながら、

 

より患者の状態に

適したものが

 

選ばれていたと思います。

 

一方、

 

私は、心理療法で、

様々なセッションを

 

やってきたし、

受けてきたし、

 

見学してきました。

 

セッション後に

クライアントが

 

“楽になりました”

 

“モヤモヤが

取れた感じします”

 

“クリアな感じがします”

 

というフィードバックを

よく伺いましたが

 

〇×△方法論が

最も優れた方法である、

 

という見解はなく、

どの学派にも、

 

その方法論を

採用している、

 

もしくは

 

強く信じている人達がいて、

全体的に万能な

 

方法はない、

というのが、

 

率直な感想です。

 

 

ですので、

 

記にお示ししたような、

明らかに客観性がある

 

数値データのような

ものはなく、

 

体感として効果を

実感された人達が

 

集まって、

なおその方法論を

 

広める活動に

従事されている訳です。

 

心理療法の世界:

感じ取る世界は、

 

基本的に

 

“見えませんし、

触れませんし、

計測できません”。

 

凄く抽象的な

世界だと思います。

 

 

ですので、

 

唯物論者や具体的理解、

証拠至上主義で物事を

 

捕えている人達に

とっては、

 

受け入れがたい世界だ

と思います。

 

 

私も最初、

凄く拒絶反応がありました。

 

“魂”“神様”

“欲望”カルマ“などの

言葉を使う人

 

 

信仰心が高い人達を

怪しいと思って、

 

眺めていました。

 

偶像崇拝や除霊、

お祓い、護摩祈祷など

 

の効力を一切、

信じていなかった訳です。

 

ただ、実際に、

 

感じ取らないと

わからない力で、

 

“見えること、

触れること、

計測できること”

 

科学の領域を

遥かに超えた力によって、

 

症状が寛解された方々に、

お話を聞かせて

 

頂いたことがありましたし、

会社員時代に、

 

懇意にさせて

頂いていた

 

臨床医の言葉として、

 

“医者が患者を

(科学に基づいて)

治療しているなんて、

おこがましい。

 

人間には、

そもそも自然治癒力が

 

備わっているので、

医者はその治る機能が

 

正常に行われるように

手伝う役割でしかない”、

 

つまり、科学の領域で

実証されている範囲で、

 

ベストを尽くして、

その先は

 

数値化されていない

自然治癒力を信じる、

 

という見解でした。

 

たしかに、

 

科学の

基本的な定義である、

 

“見えること、

触れること、

計測できること”

 

は可視光線下で

なければ、

 

出来ないことであって、

可視光線の範囲外の

 

領域で起きていること

については、

 

人間は感じ取ること

しか出来ないわけです。

 

つまり、

 

具体的理解、数値化が

出来ない訳です。

 

その可視光線の範囲内で

ある目に見える世界

 

 

範囲外の感じ取る世界

の割合が

 

95vs 5%

(もっと少ないテータもある)

 

であると言われているので、

この世の中に

 

存在しているものも、

ほとんどが見えていない

 

ということになります。

 

目に見える世界と

感じ取る世界、

 

具体的理解と

抽象的理解、

 

どちらが本当なのか、

という議論がなされる

 

ことがあります。

 

 

目に見える世界;

具体的理解には、

 

科学の基本である

 

“見えること、

触れること、

計測できること”

 

が適応され、

数値化されたデータが

 

あるので、

客観的に正しいという

 

判断ができる、

という主張があります。

 

この考え方を

強く信じている

 

唯物論者、

証拠至上主義者は、

 

感じ取る世界;

抽象的理解を

 

一切、認めない人も

いらっしゃいます。

 

逆に感じ取る世界;

抽象的理解には、

 

個としての人間の

理解を超えた

 

領域/人類の叡智と

一体になれるような

 

感覚があって、

目に見える世界;

 

具体的理解では

解決できないことを

 

解決できたりします。

 

それぞれに主張があって、

どちらか片側のみを

 

正しいと狂信/盲信して

しまって、偏りが生じると、

 

健全に物事を

捕えることは不可能です。

 

一見、真逆の考え方に

見えてしまうのですが、

 

どちらも補い合って、

協調していることが

 

理解出来た時、

全てが必要だったと

 

認識できて、

表現のされ方が

 

違うだけと気付ける訳です。

 

のように、認識力が

上がった時、

 

全ての問題/課題は

終わっていきます。

 

 

ですから、

 

目に見える世界と

感じ取る世界、

 

具体的理解と

抽象的理解は、

 

偏ることなく、

バランスよく使っていくこと

 

がとても大切です。