
今朝、
Webでニュースを
確認していたら、
続編“えんとつ町のプペル
約束の時計台
2026年春公開決定”
という記事を見つけました。
私、
“やっと来ましたか、
お待ちしてました”
と思いました。
ご存知ない方のために、
少しご紹介すると、
お笑い芸人
キングコング 西野亮廣さんが
製作総指揮をつとめて、
2020年クリスマスに
前作が公開されて
(当時はコロナ禍で
観客動員が見込めないという
観点から、
多くの映画作品公開が
延期になったが、
挑戦を込めて公開された)
興行収入27億円・
観客動員196万人を
記録。
日本アカデミー賞
優秀アニメーション作品賞を
受賞した作品です

えんとつがいっぱい立ち並んで、
黒い煙でモクモク、
空を見上げても
黒い煙で見通せない、
煙で閉じ込められた町、
えんとつ町。
この町にはルールがあって、
①空を見上げてはいけない
②夢を信じてはいけない
③真実を知ってはいけない、
というもの
そこで、煙の向こうには、
“星”があると言えば、
狂人・異端児扱いを受けて、
誹謗中傷、罵詈雑言、
暴力までも受け、
いじめの対象になったり、
異端審問官に
逮捕されたりする。
そんな中で、
住民はいつの間にか、
煙の向こうには
“星”なんかない、と
信じて疑わず、反論するものを
暴力で制圧し、
誰も真実がわからなくなった。
それでも、
真っ黒な煙の向こうには
“星”があると言い続けて、
周囲から笑われ、
嫌がらせを受けても、
“星”があることを
信じ続けた少年:
主人公ルビッチのお話でした。
皆さんにも重なる部分が
あるんじゃないでしょうか?
特に、何か事業を起こして、
周囲の方々を
幸せにしたいと思っている人には
刺さると思います。

夢のために、
何かに挑戦し夢を語れば、
周囲からは失笑されたり、
行動を起こせば、
“お前には向いてないからやめろ”
とか
“どうせ無理だから、
うまくいくはずない”
とか言われたり、
挙句の果てに、
自分で自分自身に向かって、
“やっぱり、向いてなかったんだ、
才能がなかったんだ、
もう疲れた”
“諦めたら、楽になるよ”、
さんざんネガティブな
意見を受けて、
途中で
ココロが折れてしまった方々
や
現在進行形で
夢を叶えようとして、
文字通り、
命懸けで
挑戦している方々には、
このえんとつ町のプペルは、
刺さるメッセージが
たくさんあります。
あなたの身を置いている
この社会・環境に
置き換えてみると、
今、所属している
コミュニティ・会社(町)が
あって、そのコミュニティでは、
将来の夢(星)を
公の場で話すと、
周囲の人々から
“浮世離れしている”
“現実味のない夢を
語てんじゃね”
と失笑されて、
それでも行動を起こせば、
さらにひどい扱いを
受けたかもしれません。

今、所属している
コミュニティ・会社(町)で、
既存にあるルールに
ひたすら従っていれば、
誰からも
誹謗中傷されることは
ないでしょう。
ある程度の成功体験だって
するんじゃないですか!?
そして、
これだけ移り変わりが
激しい世界で、
競合は世界線になった時に、
その成功体験をした
既存のルールでは、
もう立ち行かなくなっていることは
理解している、
競合達は、
思っても見なかった所
(黒い煙を抜けたところ)から
アイデアを引っ張り出してきて、
お客様にサプライズとは
言わないまでも、
笑顔・満足・愛を届けている。
“よっーし、それならば、
我々だってできる”
と一念発起してやってみても、
コミュニティ・会社(町)の
内側に(黒い煙で)
閉じ込められて、
斬新なアイデアなんて
出て来やしない、
“独創性・創造性が
大切だよ”って、
似非評論家達は
口を揃えて言うけど、
独創性・創造性は
外側(黒い煙を抜けたところ、
つまり星があるところ)
にしかない、

今までだって、
私は“星”があるって、
力説したじゃない、
でも、その時の反応は
失笑されたし、
罵詈雑言を浴びせてきたじゃない、
“今までの既存のルールを
執着せずに手放せ、
手放して外側に行かなければ
生き残れないぞ”
っていわれて、
手放す時に、
不安と恐怖で、
身体が震えるでしょ、
怖くて元に戻りたい、
って思うでしょ、
不安なのは当然、
恐怖を感じるのは当然、
だって、外側には
まだ行ったことないからね。
私も定期的に必ず、
起業した思いを確認します。
外側にいくこと、
黒い煙を抜けたところに
いくことは、行ったことがないから、
不安だし、恐怖も感じる、
プレッシャーにも潰されそうになる。
身体の震えが
止まらないことだってある。
その時に、
自分自身に対して、
質問するんですよ。
“それでも、外側に、黒い煙を
抜けたところに行きますか?”
“周囲の他人から失笑されて、
叩かれるけど、行きますか?”
って、
私の答えは変わらない。
“それでも、行きます”