真逆も同じ

関西万博の

開催も重なって、

 

いまインバウンド需要が

伸びていますよね。

 

東京のいわゆる繁華街

(新宿・渋谷・銀座・上野)を

 

中心に、

世界各地から観光目的で

 

日本に来た外国人が

溢れていますが、

 

日本人の私から見れば、

とてもマナーが悪い

(ゴミ・騒音・環境・混雑)と

感じます。

 

 

 

 

 

基本的に、

“日本人はルールを守る”ことは

遵守されていると感じます。

 

 

ただ、

日本人の中でも、

 

ひたすら

ルールを守らない人達がいます。

 

 

 


ルールを守る人から見れば、

守らない人をみていると、

 

“なぜ”とおもったり、

見ていて“ムカついたり”(怒)しますよね。

 

 

 

 

ルールを守る人/守らない人の

ココロの中では、

 

どのように動いているのか、

お話したいと思います。

 

私は小学校、

中学校の間は

 

特に厳格にルールを

守っていたと思います。

 

 

 

今でも、

比較的よく守っていると思います。

 

 

 

(信号無視はしない、

 

約束時間の10分前には

必ず集合場所にいる、

 

列に並んで順番を守る、

 

優先座席は絶対に座らないなど)

 

 

 

 

サラリーマン時代から、

特に時間を決めた約束は、

 

交通遅延などの理由を除いて、

破った事は一度もありません。

 

交通ルールも絶対に守ってました。

 

 


それは、

 

 

“良心の呵責(かしゃく)に

苛(さいな)まれる”

 

 

 

(自分がした行動や言葉について、

後になって強く後悔したり、

自分を責めたりする状況)

 

 

 

ことが嫌なので、

状態が良い気持ちで居たいので、

 

 

ルールを厳守していました。

 

 

これに対して、

5歳時に、家出して、

 

学校へもほとんど行けず、

ルールを全く守ってこなかった人と

 

 

お話した経験があります。

 

 

 

 

これ一見、全く違う様に

見えると思いますが、

 

 

ふたりを動かしている

感情のエネルギーは

同じでした。

 

まず、私はルールを守る事で、

自分を守っていました。

 

一般的な人と呼ばれる人達が

常識だと言われる枠の中にいることで、

 

 

守られたかった、

安全を感じたかった。

 

 

もし

 

ルールを破ってしまったら、

周囲から責められる

 

恐怖心が

強烈なドライバーとなって、

ルールを守らせてくれました。

 

 

 

 

一方、

 

 

 

ルールを破り続けてきた彼曰く、

 

 

権威・権力に抑えつけられて、

生きることが嫌だった。

 

自分の事は自分で決めたい、

権威・権力の象徴としての

 

ルールに従うことに

恐怖心を感じていたから、

 

破り続けてきた。

 

 

権威・権力に反抗すること、

従わないことが

 

自分自身であることを自覚すること、

他者や社会から

 

ある意味認められているという感覚を

持つために重要なことだった訳です。

 

 

 

2人を動かしていた

エネルギーは、

 

不安・恐怖であって

本質は同じで、

 

表現され方が

違うだけです。

 

恐怖があるから、

従順・遵守して、

ひたすら枠から

はみ出ない様にしたのか、

 

 

恐怖があるから、

抵抗・反発して、

ひたすら枠の外に

出っ張っていたか、

 

 

表現した事例です。

 

 


根源が同じでも、

 

 

片側の表現

(この場合、

ひたすらルールを守る事)は、

 

 

歓迎されますが、

 

 

もう片側の表現

(この場合、

ひたすらルールを破り続ける)は、

社会から拒絶されました。

 

 

 

一見、

相反して真逆に

 

思える出来事の

本質をたどると、

 

全く同じということが

 

日常にたくさん溢れています。

 

 

 

それが理解できるようになってくると、

感情が乱されることが

 

少なくなって、

冷静で居られる時間が

 

長くなり、ココロが平穏で

ある状態が長く続きます。