
ココロの世界では、
様々な読み物で、
“多様性の尊重”が
主張されていて、
“みんな違ってみんないい”と
言われています。
時代の流れとしても、
人間が多く集まる場、
学校、会社、各コミュニティ
などでも、
多種多様な人間がいるので、
その人達をある方向に
導いていく
リーダー、先生、
管理職(上司)と
呼ばれる人達の管理能力が
問われると思います。
そこに集まった
全員の能力:
凸凹がある個性を
引き出して、組織として、
最高のパフォーマンスが
出来るように、
向き合っていくことが
今、令和の時代には
特に重要ですよね。
昭和の時代ならば、
管理者と呼ばれる
人達
(リーダー、先生、管理職)は、
私も経験しましたが、
“このやり方について
これないなら、やめろ!”
と言われました。
この結果として、
イエスマンしか生き残れず、
いわば管理者の
度量以上には、
組織の拡がりは
ありませんでした。
いくら自分の意見が
画期的だと思ったとしても、
組織で生き残るためには、
自分を押し殺して
イエスマンでいることが
“日向”を
歩く方法でした。

そして、
ここ最近言われている
“多様性の尊重:
みんな違ってみんないい”
は、たしかに参加者は
それぞれ全く違うので、
多種多様な
観点がある訳です。
その多種多様な観点から
意見が出されて、
まとめ上げられると、
昭和の管理体制のような
強権政治よりも
さらに可能性が拡がり、
今までに気が付かなかった
斬新な意見が
採択されるはずでした。
“多様性の尊重:
みんな違ってみんないい”
は、時代の流れに乗って、
とても良いことが
予測できるのですが、
私なりに分析をして
2点ほど問題点があると
思われるので、
ゆっくりとしか
進んでいないように見えます。

多様性の尊重が
うまくいっていない理由;
①同調圧力によって、
個性が生かされていない
人間は社会性の動物であって、
単体ならば弱いので、
集団で生活を営むことで
生き残ってきました。
日本は、昔から島国なので、
外部民族の
侵略もない環境であったので、
所属している集団の中で、
他メンバーにとって
役に立つ存在であることを
証明し続けることが、
所属し続けられる条件でした。
集団の中で、
トラブルを起こすと
集団から排除されると、
ひとりで生きて
いかなければならないので、
とてつもない不安・恐怖でした。
だから、
周囲の人達に気を使って、
役に立つ行動を起こして、
問題行動をしないことが
生き残るために
体得した習性だった訳です。
この影響は、
今でも見受けられます。
大多数の人達は、
“一般的には”
“通常は”
“常識で考えれば”
という接頭語をよく使って、
あまり、その世界の外に
飛び出そうとはしません。
飛び出したつもりでも、
まだその世界を
飛び出ていないことが
多いと思います。
それは当然で、
集団の中に
留め置く強烈な力
(同調圧力、不安・恐怖)が
作用しているからです。

②管理者と呼ばれる人達
(リーダー、先生、
管理職)が
メンバーの個性を
受け止める
“守備範囲”が狭い
これも凄く影響していると
思います。
①の環境で育成された人達が
管理者になれば、
認められる個性の
範囲が狭くなります。
つまり、
管理者と呼ばれる人達は、
多種多様な価値観を
獲得できるような
生き方をしてきた人、
もしくは、
個性の守備範囲が広くないと、
多様性の尊重などできない、
と気付いている
必要があります。
多様性を認めて、
尊重するわけですから、
管理者自身は、
偏りがあると、
良い/悪いを
決めてしまうので、
尊重どころではなくなります。
メンバーを
なんの価値判断も
することなく、
ありのままを受け止めて、
尊重することが不可欠です。
そのためにも、
受け止められる個性の
範囲を広くしておく
必要があると思います。

今までに
遭遇したこともない
人達に出会った時に、
ワクワクした
気持ちになりますか、
それとも、
不安・恐怖を感じますか