
皆さんの周囲に
完璧主義者の方はいますか?
その完璧主義者の方で、
不安や恐怖から逃れるために、
完璧を目指して
頑張っている方はいますか?
“神は細部に宿る”のように、
現状よりもこうした方が
さらにいいと考えて、
ワクワク楽しみながら、
完璧を目指している
人ではなくて、
完璧でないと、
怒られる、
責められる、
嫌われる、
バカにされる
と思い込んで、
自分自身で
不安・恐怖を煽って、
その気持ちを
少しでも静めるために、
完璧主義に
なってしまっている
“苦しい完璧主義者”の
方はいませんか?
“適当でいいよ”と
言われても、
その正解がわからない
とか、
“60%出来たら、
それでいい”
といわれても、
ニュアンスが理解出来ない、
とか、
欠点・弱点がある事を
認められずに、
執拗なまでに
欠点・弱点を“敵”と
みなし、その欠点・弱点を
持っている
自分自身のことが大嫌い、
自分自身で設定する
理想・希望が
非現実的と思われるほど、
過剰に高く、
それを超えないと、
見下されてしまう、
責められてしまう
バカにされると思って、
完璧をめざし、
他人から低評価を
つけられることに
不安・恐怖を
感じてしまいます。

準備期間が長くて、
“~のタイミングがきたら”
とか、
“~のお金が溜まったら”
とか、
“~の資格試験に
合格したら”
とか、
なかなか始めようとせずに、
最終的には行動に移さずに、
立ち消えてしまう
上述のように、
自分自身で設定した
理想・希望が高すぎて、
自身では出来る限り
努力しているが、
理想と現実が
全く埋まって
いかない気がして、
“あの時、私がもう少し
我慢していれば・・・”
“あの時、
もう少し改善できたのに・・・”
と思って、
出来たことよりも
出来なかったこと
ばかりに意識が
向いてしまい、
1日の終わりの
ひとり反省会が長い。
ある事を成し遂げた
充実感・達成感
“終わりよければ、
全てよし”と
思わずに、
うまくいかなかった点、
失敗した点ばかりに
意識が向いてしまい、
全体的な印象も
“失敗”と認識してしまう
過剰に高い理想からの
減点方式で、
自分自身を
評価・価値
判断してしまうので、
自己否定が無くならず、
自分で自分自身を
追いこんでしまう
不安・恐怖の感情は、
当事者が感じてあげないと
減る事はありません。
不安・恐怖に端を
発する行動は、
一時的な緩和しか望めず、
ますます不安・恐怖を
増強してしまいます。

では、
なぜ
“苦しい完璧主義者”が
生まれるのか、
についてお話します。
これは幼少期に、
良い所も悪い所も含めて、
ありのままの自分、
等身大の自分を
受け入れてもらった
経験が少ない、
ということが
起因しています。
幼少期の親との
関係性、
学校での先生との
関係性、
学校での友達との
関係性で、
過剰な期待ばかりしてくる
親だった、
とか
欠点・弱点と
思われたところについて、
痛烈に批判を
浴びせられた、
期待に応えるいい子を
演じるしかない、
と思っていた、
優秀な親族や
優秀な人達が身近にいた、
などが考えられて、
完璧であれば
そこに居場所があり、
間違えれば文字通り、
地獄に落とされたような
思いを感じていた
幼少期、
親からは優秀で、
国立大学に
現役合格した
〇×兄ちゃんみたいなったら、
と言われて、
司法試験に
一発合格した
〇×姉ちゃんみたいに、
勉強しなさい、
と言われ、
学校では、
先生から座席は
成績順です、
と言われ、
期待に応える、
出来る自分を
精一杯頑張った
自分がいたと思います。

それでは、
どのような方向性で
完璧主義を緩めていくか、
についてですが
①人は他人から完璧さを
持っていることを
愛されるのではなくて、
不完全であること
(完璧でないこと)で
周囲の他人から
愛されるということを
体験してみる、
完璧でなくても、
責められたり、
怒られたり、
嫌われたりしない
ことを体験してみて下さい。
②失敗を恐れて挑戦しない
よりも、挑戦して
何かしらの結果・経験を
得る重要性を知る
人生を豊かにするものは、
理論・理屈よりも
行動・体験です。
挑戦してみないと、
体験はできません。
結果の良し悪しよりも、
その挑戦をしようと思うこと、
その間の体感が
はるかに重要です。
③完璧主義を
“完璧”に止めないと、
とは思わない
バランスを整える
意識の偏りが辛さ、
苦しさを作り出しているので、
意識のバランスを取り直す
完璧主義自体が
悪い物ではなくて、
必要な時もあります。
怠惰でいい加減な
自分も認めて、
完璧主義である
自分も認めて、
どちらでも選択できるように、
バランスを整えることが
大切です。