
皆さんの周囲にこんな人
見かけたことありませんか?
もしくは、
あなた自身が下記の
チェック項目に
ココロ当たりありませんか?
“嫌だ、いいえ、ノーと言えない”
とか、
“自分自身で決めることが
出来ない”
とか、
“自分の欲求で、
『~がしたい』というのは
わがままだと思ってしまう”
とか、
自分の思考・感情
(腹立つ、嫌だ、
納得がいかない、
怖い、悲しい、
嬉しい、楽しい)を
他人に向けて
表現することが苦手、
自分自身という
感覚がわからない、
などの特徴が挙げられます。
基本的な考え方として、
その当事者の思い込みは、
なにか“枠”の中に
閉じ込められていて、
その枠内で決まっていると
思い込んでいるルールを
ひたすら守り続けないと
いけない、
と思っていて、
“枠の外の方が、
刺激的で、面白いよ”
と誘われても、
絶対に外に出ようとしない、
枠の中に留め置く力は、
凄まじく強烈で、
いつまでも当事者を
つなぎとめておきます。

ですので、
当事者は、その枠内で、
安心・安全を感じるために、
自分自身の
思考や感情をなくして、
その枠内での
権威やルールに
ひたすら従って、
自分の欲求、思考、感情を
無くして、周囲の他人に
合わせていきます。
それが最大の安全策だと
思うからです。
また、実例として、
自分の気分が悪かったり、
イライラしていても、
いつも笑ってごまかす、
自分が納得していない
にも関わらず、
強く言われたら謝ってしまう、
お誘いを受けたら断れない、
電話を自分から
切れないなどがあります
そして、
上述したように、
枠内の権威やルールが
その当事者にとって、
世の中全体であり、
自らが率先して行っている
枠内権威やルールに
従うことが
最優先事項になっているので、
“世の中はこうあるべきだ”
とか、
“普通はこうでなければ
ならない”
とか、
“一般的にはこうなのに”
とか
の思い込みを持っています。

自分を無くしていく
段階では、
潜在化には
まだ少し自分の意思が
残っているので、
少し残っている意思がある
自分
と
枠内での安全策で
自分を無くそうとしている
自分
にかなりのギャップがあるので、
“人生は苦しい試練の連続”と
思ってしまって、
他人に振り回され、
怒り、恨みが
溜まってしまいます。
総じて、自分の人生を
生きている実感がうすくて、
満足しない、
不安、辛い時間が
長いと感じています。

では、
なぜ“自分がなくなる”
状態になってしまった
のでしょうか?
これは、
幼少期の
親との関係性で、
子供が
感情を
ありのままに感じ、
表現すると、
親が不機嫌になった、
親から怒られた、
親の思考や感情に
寄り添っていると
親は機嫌がよく、
安全だと思えた。
母子間の
共依存関係で、
自分の意思、
好みよりも、
親の機嫌を
伺わないといけなかった、
大人になっても、
親を他人に
置き換えているだけで、
自分で考えること、
感じることを
諦めてしまった
幼少期に
とても過保護・過干渉の
環境で育つと、
“あなたは勉強して、
有名学校合格だけを
考えていればいいの、
その他の事は、
全部、
お父さんとお母さんが
やるから”
といわれた、
何でも先回りして、
“障壁”となると
思われることは、
親が肩代わりして
やってしまっていた、
などが考えられます。

では、このように
“自分がない”と感じている
方がどのような方向性に
進んでいけばいいのか、
①自分の意思を大切にする
具体的には、
ご自身を大切なお客様として、
接して下さい。
お部屋にお花を活けてみる、
ルームフレグランスを置いてみる、
自分のために、
少し手の込んだ料理を
作ってみる、
自分のためだけの
時間を取ってみる
(読書する、お風呂に入る)
②自分の快・不快を感じてみる
思考・感情を無くす方向に
振り切ったので、
快・不快が
わかりにくくなっています。
身を置いてみて、
“嫌だ”と思うこと、
“違和感を持つこと”を
認識してみる。
快を求めるよりも、
不快に感じることを
回避していくことが
大切です
③自分で考えて、
自分でやってみる
最初、
やってみるとその行為自体に、
恐怖を感じると思います。
それは、
ほぼほぼ初めてのことを
やる訳ですから、
防衛反応から
言えば当然です。
最初からは
うまくいくはずがありません。
“失敗したらどうしよう”
“うまくいかなかったら
どうしよう”
“間違ったらどうしよう”
って、考えて、
恐怖を感じる
かもしれません。
でも、うまくいくよりも、
独力で挑戦することが
最も重要です。
少しずつで
全く問題ないので、
自分の思考や感情を
大切にして、行動を
起こしてみて下さい。
その過程での経験が
自分らしさを
取り戻していくための
財産です。