
“私とあなたは
別々の存在です”
“私は私、あなたはあなた”
って当たり前のことだと
思いますが、
心理的に、無意識で、
他人との境界線が
明確に引けていない人が
多くいます。
そして、
上手に境界線を
引けない人は、
人間関係で
必ずトラブルを起こしてたり、
心理的、物理的負荷を
負っていたりして、
苦しいです。
幼少期、人間は
親との境界線は
非常に薄いです。
子供は自分自身の
意思ではなく、
親が決めた決断に
何の文句も、
疑いもなく従って
生きていることが
多いと思います。
そもそもが自我を
育てている
真っ最中ですので、
自分の思考・感情なのか、
親の思考・感情なのか、
区別しづらいこともあります。
そして、
子供は、
成長するにしたがって、
様々な他人から
様々な価値観を獲得して、
反抗期を迎えて
自分と親は
別の存在であると
認識出来るように
なっていく訳です。
境界線が明確に
引けるようになる訳です。

境界線がうまく引けないと
どのようなトラブルが
起きるのか、
というと、
お付き合いをしている方に、
今日LINEを送ってみたら、
返信がなかったとすると、
境界線が
しっかり引けている人の場合、
“人には人の
都合があるから、
もう少し待ってみるか”
とか、
“何か他に急ぎが
あったのかなぁ”
というように考えて、
特に気になる時以外は
詮索しません。
境界線がない、
もしくは薄い人の場合ですと、
“何か、私、知らない内に
悪い事したかもしれない”
とか、
“返信が当然、
すぐにやるべきなのに”
って考えてしまいます。
ある会合に
出席していた時に、
参加者がそれぞれに
意見を出し合っている最中に、
境界線が
しっかり引けている人の場合、
“○○さんは、
そのように考えるんだ”
とか、
たとえ自分とは
反対の意見を聞いても、
“なるほど、
そういう視点があったんだ”
というふうに考えます。
境界線がない、
もしくは薄い人の場合ですと、
“私が間違っている”
とか、
“私のこと全然
わかってもらえない”
って考えてしまいます。

この事例以外にも、
境界線が曖昧な人で
よくあるパターンは、
とても他人に対して
共感的で、周囲にいる
他人のお世話を
頼まれてもいないのに、
強迫的にやってしまう
人がいます。
例えば、
“直近で肉親を
亡くしてしまった”
とか、
“大きなミスをして
落ち込んでいる”
とか、
“思い通りに進まずに
自暴自棄に
なってしまった”
などの他人を見つけ出すと、
頼んでもいないのに、
困っているだろうと
勝手に思い込みを
持って他人の
役に立とうとする人、
出会ったことありませんか?
これは、
幼少期の親との
関係性から
出来上がったもので、
幼い頃、お母さんが
身体が悪く、
病気がちだった、
とか、
夫婦喧嘩が絶えず、
泣いている
お母さんの愚痴を
ずっと聞かされていた、
などの体験をして、
“可哀そうなお母さん”を
助けられる私は凄い、
家の中に居場所がある、
安心安全を感じられる、
ことがココロに刷り込まれて、
大人になっても、
相手を親から周囲の
他人に変えて
やり続けている人がいます。

他人の問題・課題は、
他人のものであることが、
境界線が曖昧な人には
体感的に
理解できません。
周囲の他人に、
頼まれてもないのに、
お節介をしてしまって、
口に出して言わないですが
“さぁ、ありがたがれ、
助かると言え、”
とばかりに、
迫ってくる訳です。
このお節介を
受け入れなかったら、
関係がギクシャクするし、
受け入れてしまえば、
受け入れた側を
どんどん依存的に、
無力にしてしまい、
良い結果が得られません。
それぞれの人がもっている
問題・課題は、
それらに向き合うことで、
辛さ、苦しみ、悲しみを
感じますが、
人間的に成長して、
成熟していく訳です。
境界線が曖昧な人は、
その機会を
奪っているということになります。

最後に、
有名な精神科医が
唱えた言葉が、
境界線が
曖昧な人間関係において、
とても重要なので、
一部引用させて頂きます。
“私は私のために生き、
あなたはあなたのために
生きる。
私はあなたの期待に
応えるためにこの世に
在るのではない。
そしてあなたも、
私の期待に応えて
行動するために
この世に在るのではない。”
他人の期待や機嫌に
応えるのではなく、
自分の欲求・望みを
大切にしてください。
周囲の他人も
また
あなたの期待や機嫌に
応えるために
生きているのではありません。