
ついに高校野球決勝戦で、
沖縄尚学が優勝しましたね。
おめでとうございます。
この高校野球で、
私が一番注目するのは、
指導される監督の姿勢です。
たしかに、
広島県代表の
広陵高校野球部内の
暴力事件がありましたが、
全般的にみて、
指導者が教え子達に
かける言葉や
トレーニング方法が
昔と比べて明らかに
変化していると感じます。
私が知っている
昭和の指導者達は
“監督・コーチが
言うことは
絶対に従わないと
いけない”
とか、
“闘志なきものは
グランドから去れ”
とか、
“鉄拳制裁・
しごき・根性”
とか、
が当たり前で、
野球でもサッカーでも
またその他の部活動でも
名門校と呼ばれる
学校では
このような指導方法が
あったんだと思います。
まるで軍隊のように、
“上”が言っていることを
何も疑問を持たずに、
忠実に服従することが
ベストであると
考えらえていた
時期が30年ほど
前ありました。

そして、昨年、
令和6年、
夏の高校野球大会で
優勝した慶応高校の指導で
“エンジョイ・ベースボール”で、
『やらせる』のではなく、
『まかせる』、
『教える』前に
『問いかけて、考えさせる』、
『正解』より『成長』
が特徴的で象徴的ですが、
教え子との
信頼関係の中で、
指導者が正解を
提示するのではなく、
教え子が指導者からもらった
ヒントを基に考えることが
重要視される
指導方法が
導入されています。
上述した
昭和の指導者
と
令和の指導者
では、
教え子にどのような
声掛けをして、
教え子のココロ状態に
影響を与えているのか、
潜在能力を
引き出しているのか、
それとも緊張と不安を煽って、
普段できることさえ
できなくさせてしまっているのか、
今日は
他人に
力を与える人
と
奪う人
について、
コミュニケーションが
ココロに及ぼす影響について、
お話したいと思います。
それでは、
下記に
“昭和の指導者
と
令和の指導者”
と表記させて頂きますが、
昭和の指導者でも、
令和の指導者と
変わりないほど、
他人の力を引き延ばしている
指導者はいました。
他人に力を与えるのか、
それとも奪うのか、
という観点で
令和と昭和を
代名詞として
使わせて頂きました。

昭和;
他人との比較を重要視する、
成功しか認めない、
出来ていない部分を指摘
自分の命令を聞く
他人しか受け入れることが
できない、
正論しか言わない、
他人を見下したように、
『あなたは~だ』という物言い、
勝ち負けは
上下だけに注目している、
『〇〇さんよりもうまいね』
(上下や成果に
こだわっている)
相手の問題に
過剰なお節介をする、
相手の意見に対する
受け取りがネガティブで、
『でもさ・・・』
『もっと、こうすればよかったのに』
結果のみを見る
自分と違う考え方の人、
少数派は毛嫌いする

令和;
個人個人の成長を
重要視する、
失敗さえもいい経験を
したと受け入れる、
出来ている部分、
増えて欲しい部分を指摘
他人を善いところも
悪いところも含めて
受け入れることができる、
意見や提案として
他人に言う、
『私の意見は~~だ』
といって、
反論も受け入れることが
出来る、
チームに貢献や協力する
姿勢がある、
相手に感謝(ありがとう)を
伝えられる
相手の問題に
必要な共感することが
出来る
“それは悲しかったね”
“怖かったよね”、
相手の課題・問題を
相手のものと境界線を
引くことが出来る
相手の意見に対する
受け取りがポジティブで、
『なるほどね』
『そうだよね』
『これからよくなろうね』
結果を導き出すための
過程・努力を見る
どの人も人として見る

各項目で気付きが
ありましたか?
他人の力を奪うような
関わり方(昭和的)を
していたと
気付きがあった人は
他人に力を与える人に
なるために生き方を
変えることできますよ。
方向性としては、
“目の前の相手をそのまま、
何の価値判断もなく見る”
ことです。
良い部分から悪い部分まで
全て含んで相手を
見ることです。
ひいては、
自分自身の
良い部分から
悪い部分を全て含んで、
価値判断を無くして、
認めてあげることです。