
皆さんは
学歴コンプレックスという言葉、
聞いたことありますか?
Webで調べてみると、
“学歴コンプレックスとは、
自分の学歴に
不満や劣等感を抱き、
他人や自分の学歴を
比較してしまう状態を指します。
高卒であること、
大学の偏差値が低いこと、
出身が有名大学でないこと
などが原因で、
この感情は
生じることがあります。”
とありました。
私自身、
ものすごく
学歴コンプレックスを
持っていました。
原因は父親に
あったと思います。
私がこどもの頃から
ずっと父親から
“東証一部上場の
会社に行け!”
とか、
“会社に入って
学歴がなかったら、
惨めや”
と言われて育ちました。
そして
高校受験の際に
通っていた私塾で、
その塾長が
“無名校から有名大学へ”
を生き甲斐にしていて、
塾長と卒業生が
数名手伝いにくる
小さな私塾でした。

私の高校生活が始まると、
塾長から
“クラブ活動に所属するな、
勉強しろ!”
とか、
“高校で友達を作るな、
友達付き合い時間が
もったいない、
勉強しろ”
と言われて、
高校生の受講生は
私を含めて3名いましたが、
それぞれが通っている
高校の偏差値順に
塾長から
カースト差別がありました。
平日は家で
予習が2.5時間、
夜22:00時に塾に行って、
翌朝4:00まで
勉強していましたので、
平日は8.5時間勉強して、
休日は平均12時間
勉強をしていました。
このハードスケジュールが
3年間続きましたが、
塾長から
“勉強しない奴に
未来はない”
“社会を動かす人材になれ、
負け犬になるな”
“いい暮らしがしたかったら、
勉強しろ”
その都度、
ポジティブな言葉であったり、
不安・恐怖を煽る
ネガティブな言葉も
ぶつけられました。
最終的に現役での
受験に失敗して、
浪人することになり、
その時点で
うつ症状を発症して、
浪人1年目は
勉強していることが
その都度、記憶されているのか、
心配で勉強が
手につかず棒に振って、
2年目で関西圏で2.5流の
普通の大学に合格しましたが、
当時、全く嬉しくなかったし、
まだ始まっていないのに
大学生活を送ることに
失望していました。

私の気持ちとしては、
“高校3年間と浪人2年間に
費やした労力を結果として、
全く相応しくない”
とずっと思っていました。
そして、4年間が過ぎて、
辛うじて、
東証一部上場の企業に
就職できたことは
よかったのですが、
就職した会社には
いわゆる有名大学や大学院を
卒業されている方
多数いました。
大学4年間は
学歴コンプレックスが
刺激されることは
そんなになかったですが、
就職してからは
刺激をされました。
この学歴コンプレックス、
もっと正確に言えば
復讐心のようなものが
ずっとくすぶっていたと思います。
そして、20歳代後半にかけて、
引き付けられたのが
外資系戦略系
コンサルティングファームで
働くことでした。
でも、
それには海外有名大学で
MBA(経営学修士)の
取得が絶対条件でしたが、
一発大逆転を
狙ってやると思っていました。
ここまで
私の学歴コンプレックスを
見て頂きましたが、
なんで私は高校3年間、
アルバイトもせず、
クラブ活動にも所属せず、
友達も作らず、
そしてうつ症状を患ってまでの
浪人2年間、
全ての時間を希望大学に
合格するために勉強をした
その意思・熱量は
どこから湧き上がってきたのか?

結論から言えば、
『学歴差別を“する側”に
居たかったから』
だと思っています。
上述したように、
私の学歴コンプレックスは
父親から引き継いだものと
考えています。
父親の学歴は中卒の後、
就職して
工場作業員をしながら、
夜間高校を卒業していて、
就職した会社では
大学卒というだけで、
大した経験がない
若い社員達が先に昇進したり、
学歴がないというだけで
馬鹿にされたりしていたようです。
いっぱい悔しい思いも
きっとしていたと感じます。
父親の死後、
母親から聞いた話では、
あまりにもムカついて、
“こんな会社辞めや!”
といって、
途中で家に帰ってきたことが
2回ほどあったと
言っていました。
だから、
父親は強い学歴コンプレックスを
持っていたのだと思います。
学歴差別を起因とする
学歴コンプレックスは
皆さんも見聞きしたこと
あるんじゃないでしょうか?
さぁ、今日は前編で、
私の経験を使って
学歴コンプレックスの
導入部をご紹介しました。
結語は
明日、
学歴コンプレックス(後編)で
ご紹介します。