役割・立場 ②

前号(⇒ 役割・立場)で、

 

 

古代ギリシャの哲学者アリストテレスの

言葉で“人間は社会的動物である”

 

 

言い表されているように、

人間は個々人では弱いために、

社会の中で共同体

家族・学校・会社・地域・都道府県など)

 

 

属して、その中で決められている

暗黙のルールを遵守するように強要されている。

(向社会性を発揮するため)

 

 

それは、個々人が既に幼少期の

成育環境下で両親との間で育んできた

可能性が高いと申し上げました。

 

 

日常をよく観察してみても、

人間が社会的動物がゆえの

役割・立場が見受けられます。

 

 

例えば、会社組織を考えてみた時、

私の前職は医療機器メーカー

でしたので、製品開発コンセプト

 

 

 

 

で一番大事なのは、

“患者のため、医療現場スタッフのため”

であると思われます。

 

 

ですので、企業理念にも、

それに関する文言が明記されています。

 

 

ですが、開発部と営業部では、

意見が違って、お互いにお互いをけなし

合っている状況がありました。

 

 

役割・立場で違うと長期的には

企業理念で書かれていることを

 

 

お互い目指しているのでしょうが、

日常業務では、もっと短期的な

 

 

ビジョンで、自分達にとって都合がいいか、

どうかという自問に置き換わって

しまっていました。

 

 

また、販売部員間でも、売上げ利益を

上げることが大命題ですが、

 

 

過剰対応で、通常よりも遥かに

売り上げが計上されますが、

 

 

それは本当にお客様にとって、

必要なものであったのか、

と感じる場面がありました。

 

 

もちろん、多く売上げ利益を

計上できた販売員は、販売員の

 

 

 

役割・立場をやり遂げている訳ですから、

社内では称賛されます。

 

 

ここにも、お客様にとって適切な

製品を販売する販売員と

 

 

お客様にとって過剰な製品を

販売する販売員の役割・立場が

 

 

現れていて、

“どんな手段をつかっても、売上げ利益を

計上できる販売員は素晴らしい”という

 

 

考えと通常の正攻法で売り上げ利益を

上げている販売員ではより多くの売り上げ利益を

 

 

上げられる方が“偉い”という考えが会社内、

特に販売部内ではよく発生していたと記憶しています。

 

 

 

それぞれの役割・立場で話すことが

明らかに違ってきます。

 

 

同じ目的を目指しているにも関わらず、

心理的には、“内・外集団バイアス”という

 

 

 

 

メカニズム;共同体が複数あった場合、

れぞれの共同体が最も大切にしている

 

 

 

暗黙のルールが違うことによって、

共同体間で対立、非承認が発生します。

 

 

(例えば、我々;共同体Aの取り組みは

素晴らしいけど、彼ら;共同体Bはそうでもない)

 

人間にとって厄介なのは、その役割・立場を初めは

忠実に演じているのですが、終いには、

 

 

その役割・立場を演じてることを忘れて、

その役割・立場に乗っ取られている

状態になってしまうということです。

 

 

最初は着ぐるみを着脱して、

装着している時だけはその配役を

 

 

演じていたのが、最後には着ぐるみが

意思を持ち始めて、装着している人間が

 

 

その意思をもった着ぐるみに追従せざるを

得ない状況、装着していることさえ忘れている、

 

 

脱ごうとすると恐怖心を感じてしまう

状況になってしまうことです。

 

 

人間は、役割・立場を果たすために、

新しい知識を身につけたり、

技能を身につけたりして、

その役割・立場を果たすことに

一生懸命になります。

 

 

役割・立場を果たす事が向社会性下での

共同体内に存在するためには、

必要条件であるからです。

 

 

そして、身に着けた知識・スキルに執着して

大切にし過ぎると、それを持っていない人・共同体を

受け入れない状況になってしまいます。

 

 

もともと、仏教で“本来無一物”という言葉あり、

 

人間は何かを持って生まれてこず、

何かを持って死ねない、

 

 

存在する物は、本来すべて空(くう)であるから、

わが物として執着すべきものは

一つもないこと。という意味です。

 

 

 

人間の欲望(エゴ)を満たすための

役割・立場は必ず敵を作り出し、

対立して、お互いを傷つけ合う。

 

 

最初の動機付けが慈悲の心、

無償の愛、分け隔てのない愛で

あったとしても、

 

 

役割・立場を与えられることで、

知らぬ間に欲望(エゴ)に変換させられて

しまっていることもこの世の中では、よく見受けられます。

 

 

本当の意味で

“本来無一物”を理解して、

 

 

要らぬ執着心を手放すためには、

役割・立場を与えられることで

 

 

持たされる欲望(エゴ)に

思い切り乗っ取られて、

 

 

その状態を克服した

経験がなければできないんでしょうね。

 

 

心当たりがある方、私にご相談ください。