起業への思い

なぜ“本当”の心理セラピストを目指すのか!?

前職で勤めていた会社は、東証1部上場企業であり、毎年、確実に業績を伸ばして、

社員を大切にして、とても意識の高い方々が集まる本当に申し分なく“良い会社”でした。

辞める間際でしたら、私は課長相当の待遇でしたから、年収約1,000万円、日常的に起こる

小さな問題・課題はありましたが、社員みんな懸命に目の前の問題・課題を取り組んでいて、

私自身、ちょっとした不満はありましたが、それほど大きな問題ではありませんでした。

 

そんな私が“心理セラピストになりたい”と思った契機は、

やはり前述しました通り、ワーカホリック(仕事中毒)がたたって

38歳~43歳まで原因不明の激痛症状で倒れた経験にあります。



身体的不調が続いていた時に、ある方からのアドバイスで、


“その痛みって身体的なものじゃなくて、心理的なものじゃない!?”


という私にとっては、衝撃的なアドバイスでした。

 

商用(仕事を有利に進めるため)に心理学関連の本を読んだことはありましたが、

本気で実用的な心理学を学んだことはありませんでした。

そして最初に、“10日間受講後、心理セラピストとして独立できますよ”という一連のコースが終了した後、


そのコースで出来た友人達の多くは、文字通り“心理セラピスト”として独立開業をしていきました。


私は横目に、“羨ましいなぁ!”とつぶやいていました。


その友人から、“だったら、あんたも起業したらいいじゃないの!?”って言われて、
私は“確かにそうだ”と思って起業しようとしましたが、凄い大きな恐怖

(うまくいかなかったどうしよう!?、クライアントさんが来なかったどうしよう!?、
自己破産したらどうしよう!?行き倒れたらどうしよう!?こんな気持ちで起業してもうまくいくはずがない!)

を感じて、起業することを踏みとどまり

まっていまいました。

口先では“困っている人はいれば、助けてあげたい”という信条を大切にして、心理セラピストとして活動したいと思っていた


反面、恐怖心を持ってしまう”偽善者”としての自分自身が本当に嫌いでした。

また、そんな行動できない自分自身を正当化する理由をこじつけて、起業できないことを当然であると自分自身を

誤魔化していたと思います。


元来、私は“困っている人はいれば、助けてあげたい”という思いとは、
自分自身が持っている大切な信条であり、それとは裏腹に、現実世界を生きている自分自身は、

行動しようとすると凄い大きな恐怖を感じてしまい、そのことに相当嫌気がさしていました。

今から考えると、この時の私は、

“確実に他人を助けられる自分には価値がある、確実に助けられない自分に価値がない”

という自分の存在価値を認知する欲望を満たすため;快・痛みの法則;に突き動かされていたのです。


自分の存在価値を認知するために、自分を取り巻く人達の評価が
自分の存在価値を決めていると無意識に判断していたと思います。


“周囲の人達の役に立つ自分自身には存在価値はあるが、


役に立たない自分自身には存在価値はない”

とつよく無意識的に信じていたと思います。

 要するに、“自分否定が強く、自己重要感・肯定感が低かった”ということになります。

その後、約2年間が過ぎ去り、さらに様々な心理療法を学ぶことを通じて、

“自己否定が強い自分自身”に向き合ってきました。

そして、ある出来事を体験し、その時、大きな一歩を踏み出す気付きを得ることが出来ました。


あるセミナーに参加した時の事です。

担当講師は風邪を引いていて、体調はこれほどまでに悪くなることがあるのか、というぐらい最悪な状態でした。

午前部の講義が終了した瞬間に、セミナールームの床に倒れこみ、午後開始時間まで体力回復に努めていたようです。

この時、セミナー受講生各人が担当講師に関わる関わり方が全然違うことが私にとって興味深い出来事でした。


①ある方は “午後からの講義は、私が代わりに講師を務めます”と進言され、 

 

② またある方は  “この部屋にいますから、必要があれば、呼んでください”と担当講師に声掛けする方、

 

③ またある方はセミナールームで友達とお話ししていますが、すごく小さい声だったり、 

 

④ またある方は昼休憩時間ギリギリまでセミナールームに入室しなかったり、 

 

これらの受講生達の担当講師を“助ける”全く違った行動を観察する機会に恵まれました。

 

その結果、私の気付きとして、人を助けるレベルは様々あることに気が付きました。

 

直接的に介在して他人を助けるレベルからその他人の自然治癒力を信じて黙って見守る、

 

一切手出ししないレベルがあるということを理解できたのです。

 

私を閉じ込めてきた信条

“困っている人はいれば、助けてあげたい、だって他人を助けられる自分には価値がある、助けられない自分に価値がない”に、

 

ハッキリとした意識で気が付いている、今、困っている他人を見て、

 

以前のように直接的に介在して他人を助けなければ気が済まない状態

 

(いい人だと思われたい、優しい/かっこいい人だと思われたいという承認欲求;快・痛みの法則で突き動かされること)は

 

無くなりました。

 

承認欲求;快・痛みの法則で動かされていた段階を超えた時、欲望に飲み込まれることなく、

 

冷静に判断して、その方に合った適切なレベルで助けてあげたい、と思う気持ちがあります。

 

以前の私でしたら承認欲求;快・痛みの法則を行動規範にしてきました。

 

いい人を、役に立つ人を、優しい人を、かっこいい人を頼りになるひとを、その場その場で無意識的に、

 

適切に、必死に演じてきました。ただその価値観が自分自身に向き合った結果として緩んだ今、

 

 

それでも“困っている人はいれば、助けてあげたい”を持っています。

 

この状況を鑑みて、私にもたらされた気付き(直観)は、

 

“人間がある集合体(家族・学校・クラブ・サークル・会社・地域・都道府県・国など)を作成した際、

 

必ず散見される困っている他人達がいて、その他人を適切なレベルで助けることが私の役割なんじゃないか⋯⋯ 

 

少し怪しくて、かっこいい言葉でいうと、

 

快・痛みの法則を超えたところにしかない”魂のミッション“なんではないか、と気付けたのです。

 

その気付き;魂のミッション(私の役割)を獲得してからは、


そのようなミッションがあるのであれば、それに沿って人生をいきてみたいという衝動

 

押さえることは出来ず、会社員辞職を決意、

 

2017年3月31日付け退職など転がるように現実が展開していきました。

 

そして十分な充電期間を経て、今、心理セラピストとして独立開業することになりました。